
日向往還と緑川流域石橋群 |
![]() | 九州の中央を横断し、肥後・日向の重要交易ルートであった「日向往還」には、往事の隆盛ぶりを伝える商家や、緑川流域に架けられた石橋群が今なおその役目を果たしています。豪快な放水で知られる通潤橋は肥後種山石工の技術の粋を集めて嘉永7年(154年前)に作られました。また、かの若山牧水が「シャレタ町ナリ」と書き残した往還の中心地「馬見原」は往事の繁栄を今なお偲ばせるシャレタ町並みです。 |
2008/08/24 更新 |
阿蘇大宮司家の興亡 |
![]() | 鎌倉・南北朝・戦国時代の約400年に亘り肥後の国に強い勢力を保った阿蘇大宮司家、阿蘇南郷谷・矢部郷を中心として全盛時その支配は熊本の中央全域に及び35万石相当の所領を持っていたとされます。その興亡の中心舞台となったのが現在の山都町矢部で「浜の館」をはじめ中世期の城や多くの遺物・遺跡、文書が残されています。 |
2008/08/24 更新 |
西南戦役と九州山地 |
![]() | 明治10年、西郷隆盛率いる鹿児島士族が起こした我が国最大の内乱「西南戦争」の攻防は、数ケ月にわたり九州山地を舞台としています。熊本・田原坂で破れた西郷軍は4月21日矢部に退却、備前屋(現通潤酒造)で軍議を開き一旦人吉へ向かう事となります。その退路は九州脊梁を越えるいくつかのルートに分かれていますが、西郷本隊の詳細なルートは謎に包まれています。130年前のあの日を辿る歴史検証をしてみませんか。 |
2008/08/24 更新 |